2015年5号
インタビュー・城後一朗
写真・坂口ユタ
6月13日(土)国立劇場小劇場にて開催の“日本舞踊を楽しむ”で共演する尾上菊之丞さんと泉秀樹さん。
この“日本舞踊を楽しむ”は、国立劇場が主催、当協会が協力する公演で、日本舞踊の音楽と振り、その心を演奏と実演を交えた解説で紐解きます。題材は長唄名作舞踊の「連獅子」。
菊之丞さんの親獅子、秀樹さんの仔獅子、
若き二人の家元の「連獅子」の幕がまもなく上がります!
今回は、お二人に「連獅子」に臨む意気込みやこれまでのエピソード、家元を継承し、今 感じていることなど様々なお話をうかがいました。
【追記】
6月13日(土)に開催された「日本舞踊を楽しむ」公演の様子は、後日、国立劇場の視聴室でご覧いただけます。視聴についての詳細・お問い合わせはこちら(国立劇場視聴室ページ)をご覧ください。
お二人は、初めての共演ですか。
- 菊之丞
- そうですね。今回が初共演ではあるのですが、泉流とはご縁がありまして、僕が小学生の頃、秀樹さんのお母様(二代目宗家 二代目泉徳右衛門)の二代目家元継承披露時の「鏡獅子」で、姉(尾上紫)と一緒に胡蝶を演らせていただきました。僕が胡蝶を踊ったのは、その1回だけで、天王寺屋のおじさま(故 五代目中村富十郎丈)にお稽古をしていただいたのをよく覚えています。
- 秀樹
- 光栄なことです。母の二代目家元継承は、昭和63年でしたので、もう25年ほど前の話なのですが、菊之丞さん、紫さんお二人の楽屋や舞台での立ち居振る舞いについて、子どもの頃に母やお弟子さんから見習うよう折につけお話をうかがっていました。
尾上菊之丞
- 菊之丞
- 僕はちょろちょろちょろちょろして悪かったんですけれど(笑)。
- 城後
- そうだったんですか。幼い頃からお二人は、ゆかりがあったのですね。
改めてお互いの印象はどうですか。
- 菊之丞
- 秀樹さんはすっきりしているじゃないですか。タイプとしては自分と遠からずだなと感じます。踊りの合い口はまだ分かりませんが、すっきりしている踊り手が好きなんですよ。
- 秀樹
- ありがとうございます。私は、舞台面で清廉とされている姿や、実直なものづくりの方なのかなという印象を勝手に抱いておりました。このようにとても朗らかに接してくださって嬉しいなと思っています。尾上流の舞台を拝見していると御振りはもとより、衣裳、道具、扇子など選ばれているものの趣味が素敵だなと。そういうところも学びたいと思っておりました。
泉 秀樹
- 菊之丞
- そう言っていただけるのはありがたいことですね。うちは、祖父(二代家元 初代尾上菊之丞)の時代から、ものの扱いとか選び方は結構うるさかったみたいですね。着物や衣裳の保管の仕方なども入念に行っていて、例えば着物は、襟の返しの部分や袂の中、身頃にも薄紙を入れてたたみ、生地が重なる部分に段差の跡がつかないように保管をしています。袴もひだに1枚ずつ包装紙を入れて、アイロンは一切かけず、パリっとさせて、いつでもピンと。素踊りが多いものですから、きれいでいよう、パリっとしていようというのは特に思っています。また、前田青邨先生や横山大観先生など今では考えられないような方々が衣裳や舞台美術、扇面の絵を描いてくださり、それに従って衣裳を拵えたものもあります。椀久なんかもそうです。
お二人は、どのように舞踊家を志すようになったか、また家元を継承するまでのエピソードを教えてください。
- 菊之丞
- 僕は小さい頃は、全然興味がなかったですね(笑)。うちは祖父が若い頃に亡くなったので、父親(尾上墨雪)が若い頃から藤間のご宗家(故二世藤間勘祖)の六本木の稽古場に伺っていて、うちの姉もお稽古場に通っていました。僕も一応ついて行ってはいたんですが、藤間のご宗家に「お稽古やりましょう」と言われて、「やだ、絶対やらない」と言って。お弟子さんとちゃんばらごっこをやってバッタバッタ斬りまくっていました(笑)。
- 秀樹
- やんちゃですね(笑)。
「船弁慶」(襲名披露舞踊会/2011年)
- 菊之丞
- ついぞご宗家のところでは、お稽古を全くしていただかず、今思うと勿体ないことをしてしまったと思います。初めて憧れを抱いた舞台は、歌舞伎座で天王寺屋の「船弁慶」を観た時でした。「わぁすごいな、こんなかっこいいものがあるんだ」と思って、襲名の時には必ず「船弁慶」を演ろうと早々に決めていました。
- 城後
- その天王寺屋の「船弁慶」を観たのは、いくつぐらいの時ですか?
- 菊之丞
- 小学生の時だったと思います。
- 城後
- 家元を継承するということをその頃から意識していたんですね。
- 菊之丞
- 小さい時から「あなたが継ぐんだ」ということを両親や周囲の人から言われてきたので、継ぐということは意識していたんですね。秀樹さんはどうだったんですか。
- 秀樹
- 私も子どもの頃は、踊りは全然好きではなかったですし、舞台で禿(かむろ)などの可愛らしい女の子の拵えをさせられても、嫌でしたね。舞台に上がっても怖いだけで、中学生ぐらいになると、徐々に距離ができてあまりお稽古をやらなくなってしまったんです。その後、高校生の時に初代(祖父・初代泉徳右衛門)のお弟子さんに「供奴」の稽古をみていただくことがありまして、その時に教わった体の使い方が、“振り”の意味合いに裏打ちされたもので、感情によって動きがたちあがってくる感じが自分の中で面白いなと思いまして。踊りっていうのは心と体と知識とが一緒になって徐々に凝縮されていくのかもしれないと感じ、「これは面白いかもな」と思ったのが踊りを好きになるきっかけでした。
家元を継承するという決断や実際に襲名をする時期というのは、どのように決まったのですか。
- 菊之丞
- 父は自分が二十歳で家元を継いだということもあり、僕にも早く家元を継ぐことを薦めていました。最終的には、僕の意欲が熟したところで継承させていただきました。
- 秀樹
- 私もやはり、子どもの頃から周りにいる祖父や母のお弟子さん達から後継者として扱われていて、なんとなくではありましたが、「いずれは継ぐものなのだな」と思っておりました。
「玉屋」(平成25年新春舞踊大会/2013年)
- 秀樹
- しかし、お稽古はしながらも踊りは積極的に好きだったというわけでもなく、かと言って「嫌だ」と言ってやめるでもなく続けていました。それでも周りのお弟子さんとの関わりや姿、言葉に接するうちに徐々に流儀や家元というものをイメージするようになりました。それは、高校生を過ぎてからです。色々な仕事を覚え始めて、後押しもありまして、20代の頃に継承の話を母や周囲の方からされた時にいよいよ心が定まったというのが正直なところです。
それからは母に30歳を前にお願いしたんですね。大変おこがましいですし、家元になったらどうなるかということはちゃんとは想像がついていない中ではあったのですが、なりたいと。させてくださいと。
家元というのは、舞踊家、指導者、振付家などの側面はもとよりありますが、また別に統率者としての役職だと思っています。ですので、まだまだ勉強が足りずそのあたりの心も学んでいかなければならない最中です。
菊之丞さんは、4年前(2011年)に35歳で、秀樹さんは昨年(2014年)、31歳で家元になりましたね。“代替わり”に際して、先代から様々な仕事の引き継ぎをなさったかと思いますが、実際に家元になったことで分かったことや改めて感じたことはありますか。
- 菊之丞
- 流派によって色々かと思いますが、僕らは幸いなことに親が健在なうちに継がせていただいているので、そういう意味ではスムーズですよね。
- 代替わりってやはり大変ですから。代が替わったからといってお弟子さんが自然についてきてくれるというわけではないし、流儀という確固たるものがありながら、第一は自分の師匠に対する信頼だと思うんですよね。全てを信頼している大事な師匠がいる。人同士だと思うんですよね。1対1の。
- 秀樹
- 菊之丞さんがおっしゃっているように、“人対人”で、師匠がいて弟子がいる、その信頼が最少単位の師弟関係です。そこが気持ちよくいくのであれば、それでいいと思っています。
しかし、その師匠にも信頼する師匠がいて、その師匠にも更に師匠がいる。そしてまた一門同士のつながりが生まれていく。流儀というものは、そういう絆と絆のつながりが循環して形成されていくのが理想だと思います。
- 菊之丞
- 我々が今後、流儀の様々な制度を現状のまま引き継げるかどうか、それはかなり疑問があります。制度は常に進化し続けなければいけないし、代替わりというのは、そういう流儀に関わる全てのものを見つめ直す機会であると思います。
師匠と弟子の関係はどうあるべきとお考えですか。
- 菊之丞
- 芸能や職人の世界で言われる師弟関係というものは、身近なものではなくなっています。弟子は、師匠に少しでも近づこうという思いで修行に励んでいます。藝は人ですから、その師に惚れているわけです。極端に言えば、師匠は絶対的な存在であり、理不尽なこともたくさんあります。師匠は、その理不尽を吹き飛ばすくらい圧倒的な存在でなければならないのですが、これが難しい。“藝に対して恐れと大きな自信を同時に持っていなければならない”と家元になって強く思います。また、この数十年で大きく日本が変わりましたが、流儀と師弟の基本的な在り方は変わっていない。そこにも難しい点があるように思います。
「二人椀久」尾上菊之丞(襲名披露舞踊会/2011年)
- 菊之丞
- 例えば、住み込みのお弟子さん(師匠の家に住み込んで芸を教わるお弟子さん)を取り上げても、以前は多くいましたが、現代においては少なくなりました。理由はいくつかありますが、ひとつは日本が裕福になったことと、人と人との関わり方が変化してきたことに要因があります。当の自分も学生時代、大学への進学を悩んでいた時、両親から「大学に進学しないなら住込みの内弟子に行け」と言われ、慌てて大学に進学しました。
- 城後
- そうなんですか(笑)。ただ、今の時代には合わない部分がありながらも、師弟間で育まれる目には見えない美徳など、日本舞踊や伝統芸能ならでは良さをもっと知ってほしいですよね。
- 菊之丞
- そうですね。志や誇りは長い時間をかけて自然と創り上げられていくもので、だからこそたいへん崇高なものだと思います。師弟間で育まれる信頼関係は親子関係に近いものがありますが、心の中で感じている良さというのは、明文化や説明が難しいですよね。舞台を通して、少しでも魅力をお伝えできるように、まずは自分自身が藝を志す人間として、経験を積んでいき、磨いていかなればなりません。
- 城後
- 秀樹さんは、家元になって明確に変わったことはありますか?
- 秀樹
- ようやく第一歩目というところですが、やはり門弟の方々とお顔を合わせて稽古をする。一つの舞台を大切に励んでいく。そういう一つ一つの積み重ねで流儀の幹が太くなっていくのかなということは、感じていっています。
自分の芸を太らせることも大切ですが、同時にやはり立ち居振る舞いが伝播していくものなのだろうなと思っています。だから、しっかりしなきゃなと思います。
また、踊り自体は、先生、先輩から教わり、頂いたものですから、それをまた次の人に渡すことは当然の責務としてあります。
「鏡獅子」泉秀樹(泉会~
二代目宗家 三代目家元 襲名披露公演/2014年)
- しかしながら今日まで続いたからといって、この先も発展していくということが、当然のこととしてやっていてはならないとも同時に思います。頂いた物を大切に思いながら、今日見てもらうお客様にも楽しんでもらえることをしなければと思います。
今回の「連獅子」の見どころを教えてください。
- 菊之丞
- 「連獅子」は、獅子の子育ての厳しさや親子の情愛がテーマであり、親獅子が仔獅子を谷底に落として試練を与える。それで親獅子は仔獅子を落とした谷底を見下ろしてぐっと立っている、そのたたずまいひとつに芸がある。そこに僕らは力を注いでいます。また同時に、仔獅子の派手に肢体をいっぱい使った動きもみてほしいし、獅子物の勇壮な音楽やダイナミックな振りにも注目していただければ。どこでも良いので一つでも気になるところを見つけてほしいです。いずれは表面的な動きだけではないところをみていただけたら嬉しいですね。
- 秀樹
- 舞踊家の体ひとつでお客様の想像力を引っ張ってこられたら楽しいですよね。振りや動作、音楽、一つひとつがお客さんのイマジネーションと結びついて共有できたら素敵です。
舞台は装飾を排していますが、そこは水墨画にでてくるような巌連なる千尋の谷を見下ろす清涼山の風景が広がり、獅子の親子が現れます。
動作、目線はもとより、振りによって空間が広がっていく様は、踊っている私としても楽しいところですが、それをお客様にも感じていただけたら幸いです。
「連獅子」という作品への思いをお聞かせください。
- 菊之丞
- 「連獅子」は、演じる側も観る側も自分の経験や思いに重ねて感情移入がしやすい、自然に心動かされる演目だと思います。父親とはたびたび踊らせていただきましたが、中でも7年前の第51回日本舞踊協会公演では、襲名直前で親子関係や師弟関係でさまざま思うことがあり、「連獅子」を父と共演するのは最後のつもりで踊らせていただきました。そう思って演った時の「連獅子」は、卒業式でもあり、父親への感謝を伝える場でもあり、色々なことを心に込めて踊らせていただきました。
「連獅子」父・尾上墨雪と(第51回日本舞踊協会公演/2008年)
- 菊之丞
- 父には、好きなことを自由にやらせてもらい、思ったこともそのままむきだしにぶつけてきて、そういうことを受け入れて育ててもらいました。直接お礼を言ったりするのはなかなか気恥ずかしくてできないのですが、その思いを「連獅子」という作品を通して舞台の上で表現できるということはつくづく幸せだなと思っています。「連獅子」は誰と踊るか、共演者との関係がとても重要です。親子や師弟じゃない場合、今回は兄弟のような年恰好の僕と秀樹さんが舞台で対峙した時に、どう感じ、何が生まれるか。舞台でどのようなことが表出できるかが挑戦であり、楽しみでもあります。
お互いの空気感がお客様にも波及するような、そういう舞台の空間をつくることができればいいなと思います。
- 秀樹
- 「連獅子」は母の親獅子、私の仔獅子で稽古をつけてもらったことはあるのですが、まだ舞台で踊ったことはありません。菊之丞さんのお話をうかがっているうちに、これは母にお願いして一度踊っていただきたいと思いました。羨ましいですね。 このたびは初めて菊之丞さんと踊れることを本当に楽しみにしております。胸をお借りして、お勉強させていただきお客さんにも楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。
「松廼羽衣」母・二代目泉徳右衛門と(幸霞会/2012年)
- 菊之丞
- せっかくですから、僕とまた一緒に踊りたいと思ってもらえるように演っていけたらいいですね。
- 城後
- お二人の「連獅子」を観るのが楽しみになってきました。本番が終わった後に反省会を…
- 3人
- 全然ムードが違ったりして(笑)。
【追記】
6月13日(土)に開催された「日本舞踊を楽しむ」公演の様子は、後日、国立劇場の視聴室でご覧いただけます。視聴についての詳細・お問い合わせはこちら(国立劇場視聴室ページ)をご覧ください。
- この“日本舞踊を楽しむ”公演は、菊之丞さんと秀樹さんの『連獅子』の鑑賞コーナーのみでなく、日本舞踊についてのお話、音楽の紹介や振りの解説など、様々な角度から日本舞踊をお楽しみいただける内容となっています。また、休憩時間にはロビーでお扇子や衣裳に触れることができる体験コーナーもあります。
国立劇場主催「日本舞踊を楽しむ」公演
※ロビーでの体験コーナーは、協会主催平成27年新春舞踊大会受賞者の花柳寿々彦さん、藤間翔央さん、藤間直三さん、藤間眞白さんの4名が担当します!
皆様、ぜひお運びください。
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尾上菊之丞●おのえきくのじょう
尾上流四代家元
1976年生まれ。東京都出身。1990年に尾上青楓を名乗る。2011年、祖父、父と受け継がれてきた尾上流家元を継承し尾上菊之丞を三代目として襲名。新橋「東をどり」先斗町「鴨川をどり」の振付。林英哲氏との共演を筆頭に、茂山逸平氏と「逸青会」を立上げるなど一流の芸能者との作品創りにも力を注いでいる。主な受賞に新春会長賞、花柳壽應賞新人賞。
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泉 秀樹●いずみひでき
泉流三代目家元
1982年生まれ。神奈川県出身。二代目泉徳右衛門に師事。2014年に三代目家元を継承。 新春舞踊大会最優秀賞を受賞。協会主催公演、国立劇場主催公演出演。文化庁学校巡回事業参加、東京都主催キッズ伝統芸能体験、桜美林大学にて講師を勤め普及に勤める。