2013年2号
文・宮西芳緒
日本舞踊協会が毎年7月に開催している日本舞踊の新作公演。昨年は太宰治の「走れメロス」を上演、熱い舞台が話題となりました。今回は、主役のメロスを踊った若柳吉蔵さん、花柳源九郎さんに、メロスを踊る苦労や今後の舞踊家としての目標を語っていただきました。
メロスの役柄はどのように設定されましたか?
- 源九郎
- もう、自分そのまま
- 吉蔵
- そのまま。
- 源九郎
- 等身大で、自分をそのまま投影しました。
「タイトルロールをダブルキャストで」と聞いて、お互い、いかがでした?
- 源九郎
- 僕も関西の出身なので、吉蔵さんとご一緒させていただけるということで、どこかでほっとしていました。
- 吉蔵
- 年齢的には一廻り違うのでちょっと体力的なハンデは感じていましたが、源九郎さんと「えらいこと、なったねぇ」と話していたのをよく覚えています。初日から凄く熱いお稽古で、その中でメロスという主役を踊らせていただくということは有り難くもあり、大変なことだと思いました。
実際に「メロス」という役は?
- 源九郎
- 大変でした。
- 吉蔵
- まず体力的に凄く大変だったのと、出演者の方々も全員が凄く熱かったので、その中で走り通さないといけないのですから。
『走れメロス』の舞台で、特に表現したかったことは?
- 吉蔵
- 「限界」
- 源九郎
- 同じく、ですね。
- 吉蔵
- とにかく「限界までやろう」。そうしないと出演者の方々にも失礼やし、スタッフの人にも失礼やし、お客さんにも失礼やし。怪我してもいいから、とりあえず「限界までやってみよう」という気持ちでした。
- 源九郎
- 最後の方は毎日毎日が自分自身との戦いで、「今日も無事に終わるか」「全力で踊り切ることが出来るか」という4日間(本番)。とにかく稽古初日から公演が終わるまで、ずっと走っていたような……、
- 吉蔵
- 僕はずっと、父(故・二代若柳寿童師)や流儀の先輩たちから「若いうちは、がむしゃらでもいいから身体を使って踊りなさい」と言われていましたが、まさに『メロス』は限界まで挑戦したといえる舞台でした。
今回は演劇の方(劇団桟敷童子代表:東憲司氏)の演出でしたが。
- 源九郎
- 特に演技の指導をしていただき、「どうすれば、役の感情がお客様に伝わるか」ということを具体的にいろいろ習うことができたのは、非常に有難いことでした。
- 吉蔵
- 僕らはどうしても動きで全部、処理してしまうところがありますが
- 源九郎
- 特に表情を言われましたね。
お互いのメロスを見て思ったことは?
- 源九郎
- 僕からすると、吉蔵さんは何をしていてもメロスだったんです。もう存在感が凄い! それが非常に羨ましく、率直に、お稽古のときからずっとそう思っていました。なので、逆に自分は「この群衆の中、どうやってメロスであろうか」というのが常にありました。
- 吉蔵
- 源九郎さんの、動き、切れ。もちろん若さもあると思いますが、お家元(花柳壽輔師)の許で身に付けられた洗練された動きには、僕は「負けた」と思いました。源九郎さんが言って下さったように、僕は、かーっとなったら「もういいわ、どうでも。やってしまおう」というところがあります。メロスも「殺されてもいい」というところがあるので、僕、自分でもメロスに似ているなと思いました。誰かにもいわれました。「そやし、(メロスの役に)選ばれたんちゃう?」と。
この公演を終えて、何か自分の中で変わったことは
ありますか?
- 吉蔵
- 僕は、自分も限界まで行ったと納得出来るお稽古が出来て、また東京の第一線の若手の方々ともご一緒できて、大きな自信になりました。で、よくしゃべるようになりました(笑)。
- 源九郎
- ……前からしゃべってた(笑)、
- 吉蔵
- そうですか? 飲まなかったら僕、しゃべらなかったですけど(笑)。いろいろな意味で視野が広がったというか、それで「本も読まなあかんな、もっと勉強せなあかんな」と思いました。
- 源九郎
- ひとつには、『走れメロス』がなければ「ここまで肉体を追い込む作品に出会ってなかっただろう」と思います。この年齢で、この作品に出会えたことに、本当に感謝しています。しかし、それを「次にどう繋げよう」「何かに生かさなくちゃいけない」という焦りも、逆に出来ました。
その「限界」というのは、日本舞踊の中でも特に動きの激しい『三社祭』などとは違いますか?
- 吉蔵
- しんどいのは僕、こっちの方がしんどかった。動く量は『三社祭』も同じだと思いますが、これは息継ぎがなかったような。日本舞踊には何ともいえない、ふっと、息継ぎがあるものですが、『メロス』は息継ぎなく400メートル走ったという感じでした。
- 源九郎
- 『三社祭』でも『二人三番叟』でもそうですが、古典の場合、最後はしっかり決まって終わりますが、『メロス』は「わぁー」と解放しっぱなしで終わるので、
- 吉蔵
- ……違うよね。
- 源九郎
- 身体の発散の仕方が違うというか……、
- 吉蔵
- そうそうそう。
- 源九郎
- マラソンみたいな疲れ方でした。
初日と千秋楽とで変わりましたか?
- 源九郎
- 変わりました。それは良くも悪くも。千秋楽までいろいろ直した部分もあり、それが良く出たところもありましたが……逆に「勢いがなくなった」などと指摘され、それは非常に勉強になりました。
- 吉蔵
- その日によって、最前列の女性が泣いてはったときにはまたそれで違って来るということもありましたし、共演の方々も、もちろん自分自身も、変わって行ったと思います。
古典の場合とは身体の使い方が違っていますか?
- 吉蔵
- 『メロス』ではずっとTシャツ、ジャージで稽古していましたが、「着物着て、お扇子持って」というスタイルに戻していかないといけません。
- 源九郎
- 『メロス』のあとで古典を踊ると、確かに違和感がありました。しかし基本的には同じ身体、あくまでも古典をベースにした肉体を使い、洋楽に乗せて踊っているだけなので、逆に、「どう日本舞踊家としての身体の可能性を広げて行くか」だと思いました。
日本舞踊のこれからについての思いを聞かせて下さい。
- 吉蔵
- 若いころにあまり僕は勉強しなかったので、いま子供が中学受験を終わったのをきっかけに、自分も勉強しようと思いまして、歴史の本を読み返したりしていますが、メロスと親友セリヌンティウスにしても、戦国時代の男の友情や契りにしても、「もう一回深く勉強し直して、伝えていかんとあかんかな」と思っています。
- 源九郎
- 昨年、映画の『レ・ミゼラブル』が非常に流行しましたが、たとえば『レ・ミゼ』のような「圧倒的な人間ドラマの作品が、着物や邦楽で出来れば面白いな」と。
- 吉蔵
- 京都では、議会でも「着物を着ましょう」と呼びかけたり、着物のお客様へ割引をしているタクシー会社もありますが、そんなところからも、「日本文化の底辺をもっと広げて行ければ」と思います。
- 源九郎
- 自分は、常に「邦楽器を使って、それでいて何か新しい音楽が生まれて行けばいいな」という思いがあります。現代の人にとって、邦楽器というだけで遠く感じられ、逆に洋楽の音色はすんなり入って来ます。だからこそ、その「間」を見つけ出し、「一般の方にも親しみやすく、また、古典を好きな方にも訴えられるような、邦楽での新作を創っていけたらいいな」と、それは非常に感じています。邦楽や着物などとともに、進化し、創造していけることで、日本舞踊のこれからに繋がっていくと思っています。
- 吉蔵
- 昔、能が発展してきたときのように、「その時代の流れ、流行も意識し、取り入れながら、日本舞踊もこの先進んでいかなければならないのでは?」と感じています。古くからのものはもちろん素晴らしい。新しく、面白いものもたくさんあります。やはり日本舞踊であっても、お芝居であっても、「舞台」というものは、お客様が楽しんで下さることが一番大事だと思います。舞踊家もある意味エンターティナーですから、自己満足に終わることなく、見て下さる方に何を求められているかを常に自分に問い、一人でも多くの方に日本舞踊を楽しんでいただきたいですね。若い方たちにも「日本舞踊を楽しみ、その魅力を知っていただきたい」と願っています。
- 源九郎
- この先、日本舞踊はとても厳しい状況が来ると思っていますので、「いま一度、開拓することから」だと思います。もう一度、種を蒔かないと。一番深刻なのは、自分よりさらに若い方で、日本舞踊が好きながらも、様々な理由から別の道に行く、または行かざるを得ない形を、度々見ています。常に、「どうすれば、この現状を打破して行けるんだろう」と悩んでいます。自分自身は日本舞踊がとても楽しく、面白いものだと確信しています。だからこそ、「いま一度、日本舞踊を様々な面、様々な角度で見直し、発掘し、自分なりに広げていければ」と思っています。
ありがとうございました。日本舞踊のこれからのためにも、ますますのご活躍を期待しています。
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若柳吉蔵●わかやぎ きちぞう
昭和45年、二代若柳寿童の三男として京都に生まれる。
昭和49年、『勢い』で初舞台。
昭和62年、若柳吉蔵の名を継ぐ。 平成10年、若柳流五世家元を襲名。
平成15年、京都市芸術新人賞、舞踊批評家協会新人賞、文化庁芸術祭新人賞受賞。
平成20年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。
平成21年、松尾芸能賞舞踊新人賞受賞。
平成元年より、京都・宮川町で毎年「京おどり」の振付・指導を担当。
現在は日本舞踊協会主催公演、国立劇場主催公演を始め、NHKなど数多くの舞台に出演、また異流派の舞踊家や歌舞伎界の若手たちと交流を深め、日本伝統文化の継承に努めている。
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花柳源九郎●はなやぎ げんくろう
昭和56年、奈良に生まれ、父・花柳智人のもとに舞踊の道を歩み、現在は四世宗家家元・花柳壽輔に師事。
平成2年、『操り三番叟』で初舞台。
平成10年、花柳源九郎の名を許される。大阪府知事賞受賞。
平成12年、新進舞踊家競演会新人奨励賞受賞。
平成14年、花柳流専門部修得。
平成15年、東京藝術大学卒業。在学中に安宅賞・浄観賞受賞。
平成19年、文部科学大臣奨励賞受賞。
平成25年、舞踊批評家協会新人賞受賞。
その他、『日本舞踊協会公演』『国立劇場主催公演』を始め、NHKなど数多くの舞台に出演。また振付助手として、『東をどり』『坂東玉三郎舞踊公演』『比叡山薪歌舞伎』蜷川幸雄演出作品、石井ふく子演出作品などにも参加する。