日本舞踊はすなわち日本の踊りです。
日本の踊りといっても、神楽や伝承民俗芸能、あるいは盆踊りや民謡といった民俗的なものではなく、あくまでも舞台上で上演する事を目的とした一個の舞台芸術です。
そこには先行芸能である「舞楽」「能楽」の要素は勿論、様々な民俗芸能のエッセンスが、洗練された形で含まれており、古代から現代に至る日本の芸能の集大成とも言えるものです。
日本舞踊は、400年近い歴史を経て、現在では、歌舞伎を母体とするいわゆる歌舞伎舞踊、 座敷舞の伝統を持つ上方舞や京舞、新しい創造を目指す創作舞踊など様々な顔を持っています。
日本舞踊はコトバの意味を単純に言い表せば「日本の舞踊」ということになる。
しかし歴史的にその発祥から現代までの少なくとも400年の歳月の中で、それを更に300年を遡る時代に存在した<能>を始めとする先行芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊である。
これを要約して言えば「日本舞踊」とは、その大成以前から伝承された古典技法を基礎とし、舞台で表現される芸術舞踊ということになる。
日本舞踊の要素は大きく分けて4つある。
まず第一に歌舞伎舞踊~日本舞踊の最も大きな部分を占めている。17世紀はじめ歌舞伎が演劇と舞踊と音楽と未分の初期から、17世紀後半に漸く演劇として成り立つ段階で、舞踊としての要素を抽出して創り上げていったのが歌舞伎舞踊である。歌舞伎とともに伝承され発達してきたといえる。従って歌舞伎舞踊の動きには、演劇のもつ日常生活の写実的な動きを抽象化して見せる部分や、演劇の中で誇大化して見せる様式美の部分もある。
つぎに15世紀の先行芸であった能~能の舞踊としての旋回動作(舞い)や、歩行の技法はそのまま日本舞踊の中に吸収され活かされた。また能の音楽に用いられた楽器はそのまま日本舞踊の音楽の面でも不可欠のものとなっている。
三つ目は民俗芸能~時代的には能以前とも解されるが、能が大成する段階で能から漏れた郷土の民俗芸能の要素で、舞踊としては能の旋回の動きに対して跳躍の動作(踊り)が多い。
四つ目は20世紀に入って日本が欧米文明の影響を少なからず受けるようになってから、従来の歌舞伎に従属した形の日本舞踊を抜け出て、舞踊としての新しい境地を築こうとした気運の中から創作された作品群があるが、技法としては歌舞伎舞踊を大きく離れるものではない。
以上日本舞踊について大略を記して来たが、何といっても日本舞踊の根幹は歌舞伎舞踊であることには変わりがない。ただ現在「日本舞踊」として行われているものには二つの流れがある。
これは日本の文化圏にも関することだが、東京を中心とする<江戸文化>と、京都・大阪を朱とする<上方文化>の差でもある。17世紀はじめに芽生えた歌舞伎は後半になって歌舞伎舞踊を生み出すが、それまでは文化の中心は京都と大阪であった。
ところが18世紀前半、江戸に文化の中心が移る頃から、歌舞伎は江戸中心となり、19世紀には江戸が京都・大阪を圧倒してしまった。こうした中で京都・大阪には江戸の歌舞伎舞踊とは別に、舞台を離れて料亭の座敷、貴族の狭い空間で舞を演じ鑑賞することが盛んになった。
江戸の歌舞伎舞踊中心の舞踊を{踊り}と呼んだのに対して、京都・大阪の舞踊は{舞い}と呼んでいる。
いま日本舞踊は江戸(東京)の歌舞伎舞踊を中心とする踊りと、上方(京阪)の舞いに大別され、上方舞は地唄舞とも呼ばれる。歌舞伎舞踊が外向きでリズムがはっきり踊るのに較べて、上方舞は内向的でリズムもゆったりと情緒的に舞う。